ABCCと放射線影響研究所
放射線影響研究所訪問報告とTBS報道特集
ABCCと放射線影響研究所
市民と科学者の内部被曝問題研究会
広報委員長 守田敏也
私たち、市民と科学者の内部被曝問題研究会は、本年6月に、ちょうどその頃訪日されていたヨーロッパ放射線リスク委員会会長とドイツ放射線防護協会会長とともに、広島にある放射線影響研究所を訪問しました。そこで重要な情報のいくつかを得ることができました。
その後、TBSの報道特集で、放影研に関する非常に重要な内容が放映されました。ここで、私たちの放影研訪問の意義を深め、今後の活動につなげるために、番組内容の捉え返しを行い、あわせて、放影研訪問内容の報告を行いたいと思います。なお記事内容は、報道特集がなされた直後に私が書いたものにもとづいています。
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7月28日にTBSの報道特集で【知られざる”放射線影響研究所”の実態を初取材】というタイトルの番組が流されました。さっそく視聴してみて、これまでの取材にない、かなり鋭い切込がなされていると感じました。
関係者の発言についても貴重なものが多いと感じたため、資料とするために急きょ、文字起こしをしました。ぜひお読みください。
Ⅰ.知られざる放射線研究機関 ABCC/放影研
2112.7.28TBS系「報道特集」
原爆の悲惨さを訴え、今も読み継がれている漫画がある。『はだしのゲン』放影研の前身であるABCCを描いたこんな場面が出てくる。「なにもくれず、まるはだかにされ、白い布をかぶせられ、血を抜かれて、身体をすみずみまで調べられたと言うとった。」「アメリカは原爆を落としたあと、放射能で原爆症の病気がでることがわかっていたんじゃのう。」「く、くそ、戦争を利用して、わしらを原爆の実験にしやがったのか」
(『はだしのゲン』作者中沢啓治さん(73)談)
「原爆を投下する前にすでに、アメリカはわかってたんですよ。あれが。落としたあと、どういう放射能影響が出るかということがわかっていて、それですぐにABCCを比治山の上に建てるわけでしょう。」
中沢啓治さんは、『はたしのゲン』の作者であり、自身も被ばくしている。母、キミヨさんは、被ばくから21年後に亡くなった。そのとき中沢さんは、今も脳裏に焼きついて離れない体験をした。
「ABCCが来てね、オフクロの内蔵をくれというんですよ。棺桶の中にいるオフクロの内蔵をくれって。怒ったんですよ。「帰れ」って。いやあ、あれはもう、広島市を見下ろす比治山の上から、じっとこうやって見ているんだよね。今日は被爆者の誰が死んだ、誰が死んだっていって」
ABCCによる被爆者調査の背景を物語る文書が、アメリカの国立公文書館にある。1946年、海軍省が大統領に送った文書だ。
「アメリカにとって極めて重要な、放射線の医学的生物学的な影響を調査するにはまたとない機会です。調査は軍の範囲を超え、戦時だけでなく平時の産業農業など人類全体に関わるものです。」(報告書内容)
この文章にサインをしたのは、原爆投下を命じたトルーマン大統領その人だ。
「戦争の長引く苦病を短縮し何百万もの若いアメリカ兵の命を救うために原爆を使用した」(トルーマン談)
アメリカ人の命を救ったとする一方で、放射線の調査を命じていた大統領。その承認を受け、1947年、ABCCが広島で設立された。ABCCが当初最も重視したのは遺伝的な影響だった。広島・長崎で生まれた被爆者の子ども、被爆2世を77000人調査した。担当部長として調査を指揮したウイリアム・シャル氏は死産の赤ちゃんを調べたという。
「死産や生まれた日に死んだ赤ちゃんは、家族の同意があれば、ここABCCで解剖しました。採取された組織は保存されました。」(放影研の前で、シャル氏談)
遺伝的な影響があるのかは結論が出ず。被爆2世の調査は今も続いている。
そんな放影研に福島県郡山市から依頼があった。大久保利晃(としてる)理事長が、市の健康管理アドバイザーとして招かれたのだ。専門的な知識を期待されてのことだった。
「放射線に被ばくすればするほど、ガンは増えます。これは逆に。だんだんだんだん減らしていったときにどうなるのか。本当にゼロに近いところでもごくわずかに増えるのか増えないのか。これが一つの問題です。」
「本家本元、広島の研究では増えたのか増えてないのかということは統計学的に証明できてないです。」(大久保氏の福島での集会レクチャーより)
実は放影研のデータは、福島ではそのまま活用できない。放影研が調査してきたのは、原爆が爆発した瞬間、身体の表面に高線量の放射線を浴びる外部被曝だ。福島で今、起きていることはこれとは異なる。放射性物質が呼吸や食べ物から身体の中に取り込まれ、放射線を放ち、細胞を傷つける、内部被曝だ。
「子どもさんを外に散歩させていていいのか。乳児に外気浴をさせていいのか」「これ、すべてですね、申し訳ないけれども『良い』『悪い』という形で、私は返事ができないのですね。」(同レクチャーより)
低線量の内部被曝のリスクについて、大久保理事長は慎重に言葉を選んだ。そんな大久保氏に講演会のあと、歩み寄った一人の女性がいた。出産を間近に控えた井上美歌さん(28)だ。
「食べ物からの内部被ばくを気をつけていくことが一番安全なのかなと思うのですが」(井上さん談)
「特定の物ばかり食べて(放射性物質の濃度が)高いものばかりになってしまうと、危険とは言わないけどできれば避けた方がいいですね」(大久保氏談)
福島の人々の不安に答えられない放影研。その原因は放影研のデータには、決定的に欠落したものがあるからだ。
「うちのリスクデータには、内部放射線のことは勘案してありません。」(大久保氏談)
放射線の人体への影響を60年以上調べている放影研だが、実は内部被曝のデータはないという。しかし言うまでもなく内部被曝は原爆投下でもおきた。爆発で巻き上げられた放射性物質やすすがキノコ雲となりやがて放射性物質を含んだ雨を降らせた。この黒い雨で汚染された水や食べ物で、内部被曝が起きたと考えられている。
「黒い雨の方は、これは当然、上から落ちてきた放射性物質が周りにあって被曝するのですから、今の福島とまったく同じですよね。それは当然あると思うのですよ。それについては実は、黒い雨がたくさん降ったところについては、調査の対象の外なんですよ。」(大久保氏談)
内部被曝をもたらした黒い雨は、放影研の前進のABCCの時代から調査の対象外だったという。もとABCC部長のシャル氏はその理由をこう証言する。
「予算の問題は1950年からありました。研究員たちは予算の範囲で何ができるかを考え、優先順位をつけました。黒い雨は何の証拠もありませんでした。だから優先順位低かったのです」(シャル氏談)
だがABCCが内部被曝の調査に着手していたことが、私たちの取材でわかった。それを裏付ける内部文章がアメリカに眠っていた。
「1953年にウッドベリー氏が書いた未発表の報告書です。」(公文書館員談)
ローウェル・ウッドベリー氏はABCCの当時の生物統計部長だ。報告書には広島の地図が添えられ、内部被曝の原因となった黒い雨の範囲が線で書かれている。ウッドベリー氏は、黒い雨の本格的な調査を主張していた。
「原爆が爆発したときの放射線をほとんどまたは全く浴びていない人たちに被曝の症状が見られる。放射線に敏感な人が、黒い雨による放射性物質で発症した可能性と、単に衛生状態の悪化で発症した可能性がある。どちらの可能性が正しいか確かめるために、もっと詳しく調査すべきだ」(ウッドベリー報告書)
この報告書にもどつき、内部被曝の予備調査が1953年から1年ほど続けられた。調査の担当者として日本人の名前も記されていた。ドクター・タマガキ。
「懐かしいですねえ。10何年もここにおったんですから。」(元ABCC研究員玉垣秀也氏(89)放影研の外で撮影)
玉垣秀也氏は、医師の国家試験に合格したあと、ABCCに入った。黒い雨を含め、原爆投下後も残った放射性物質、残留放射能の調査を命じられた。玉垣氏は、原爆投下後に広島に入った救助隊員40人を調べた。5人に深刻な症状を確認し、うち2人はすでに死亡していたという。
「(放射線を)直接受けた人たちと同じように脱毛がある。それから歯ぐきからの出血ね、それから下血、発熱と。そういうような症状でしたね。」(玉垣氏談)
しかしアメリカ人の上司は衛生状態の悪化が原因だと一蹴し、この調査を打ち切ったという。
「(上司は)あの当時の人たちは衛生状態が悪いから腸チフスにかかっても不思議はない」と。「それを聞いて玉垣さんはどう思われましたか?」(記者)
「私はやっぱり原爆の影響だと思いましたよ。」
ABCCから放影研に変わった後も、内部被曝の調査は再開されることはなかった。
黒い雨による内部被曝の実態は、今も、広島・長崎の研究者の間で論議をよんでいる。内部被曝に関する放影研の姿勢を疑問視する声もある。
広島大学原爆放射線医学科学研究所 大滝慈(めぐ)教授談
「内部被曝のような問題がもし重要性が明らかになりますとですね、アメリカ側が想定してきたようなですね、核戦略の前提が崩れてしまうのではないかなと思います」
内部被曝への不安を訴えていた福島県郡山市の井上さんは、この4月、元気な女の子、うららちゃんを出産した。
「春の生まれなので、春の新しい命が芽吹くときに力強く育って欲しいなと思って、春といったら、うららかなって思いました」(井上さん談)
市役所から届いたバッジ式の線量計。しかしこれでは内部被曝については測りようがない。
「福島産であれば、「不検出」と書いてあれば買いますけれど、何も貼り出しがない場合は、福島じゃないものを使ってしまいますね」
井上さんが放射性物質を取り込めば、母乳を通じ、うららちゃんの身体に入る。井上さんは自分の内部被曝を防ぐことで、我が子を守ろうとしている。
「今は「何も異常はない」と言われていますけれど、いつ何があるかわからないし「自分たちで気をつけてください」ってただ言われているような気がして」原爆の放射線の影響は、被爆者の生身の体で研究されてきた。それと同じ構図が福島で繰り返されるのだろうか。
内部被曝を調査の対象から外した放影研。福島の原発事故の発生から1年が経った今年3月、大きな方針転換を決めた。それは・・・内部被曝を調査の対象から外した放影研が新たな方針を決めた。
「過去の業績と蓄積した資料を使ってですね、原発に限らず、一般の放射線の慢性影響に関する世界の研究教育のセンターを目指そうと。」(大久保氏、放影研会議の席上で)取り扱い注意と記された放影研の将来構想、内部被曝を含む低線量被曝のリスクを解明することを目標に掲げていた。原爆投下を機に生まれた研究機関は、今、原発事故を経て方針転換を余儀なくされている。
・・・番組の最後にABCCの現場からキャスターと記者が中継
「取材にあたったRCC中国放送の藤原大介記者を紹介します。藤原さんね、この放影研、放射線影響研究所ですね、やっぱり一般の研究施設とは違いますね。」
「そうですね。こちらの一本の廊下をはさんで、およそ20の検査の部屋が並んでいます。短い時間で効率的に検査をこなし、データを集めるためです。被爆者たちはこの廊下を戦後60年あまり歩いてきました。放影研の建物は、ABCCとして発足したころの、かまぼこ型の兵舎がそのまま使われています。」
「VTRの中に登場した『はだしのゲン』の作者の中沢啓治さんの言葉が強烈に耳にこびりついているのですけれども、人体実験だったんじゃないか、モルモットに扱われたんじゃないかという怒りの思いがですね、伝わってきたのですが、放影研の前身のABCCですけどね、これ、そもそもどういう研究施設だったのかという疑問が残りますね。」
「ええ。中沢さんと同じような暗い記憶を大勢の人たちが抱えています。占領期のABCCは軍用のジープで半ば強引に被爆者を連れてきました。助産師に金銭をわたし、赤ちゃんの遺体を集めたという元研究員の証言もあります。そうまでして集めた被爆者の膨大なデータが、内部被曝の影響を軽視したことで、福島で役にたたないということに、やるせない感じがします。」
「そして、311、あの大震災と原発事故を契機としてですね、ようやく1年以上経ってから、ようやく放影研が内部被曝の研究に再着手するというそういう方針転換をしたわけですよね。」
「そうですね。ABCC、放影研の調査は、決して被爆者のためのものではありませんでした。内部被曝の影響が抜け落ちているのに、国はその不完全なデータを根拠に、被爆者の救済の訴えを切り捨ててきました。今、放影研は福島県民200万人の健康調査を支援していますが、そこで内部被曝を軽視した広島の対応が繰り返されてはならないですし、広島の教訓は福島で生かさなければいけないと思います。」
「そもそもですねえ、日本において被爆者を救うはずの原爆医療でさえ、アメリカのABCCのデータ集めから始まってしまった悲劇をみて、一体、何のための医学なのか、誰のための医学なのかという思いをあらためてしましたけれども」
「放影研は将来構想で、低線量被曝を含め、内部被曝のリスクを解明することを目標に掲げました。しかしその研究は、今、福島で生きる人たちのためにはなりませんし、そもそも内部被曝のデータが欠落した放影研にリスクの解明ができるのかは疑問です。なぜ内部被曝の問題を過去に葬り去ったのか、その検証も欠かせません。」
「以上、広島から中継でお伝えしました」
Ⅱ.放射線防護における放影研の位置付
以上が番組の紹介です。非常に突っ込んだ内容の報道だったと思いますが、前提のない方にはわかりにくい面も多かったかと思います。そこでここでは、放影研を論じる際の基礎となるものをおさえておこうと思います。
放影研は私たちが今、福島原発事故と向き合うとき、とくに放射線被曝からの防護を推し進めるときに、非常に重要な位置を持った組織として存在しています。なぜなら、放射線防護の指針の大元になる、放射線と人間の関係の基礎的なデータを与えてきたのがこの組織だからです。
放射線と人間の関係を突き詰めていったとき、とくにどれぐらいの放射線が、どれだけのダメージを身体におよぼすかを考察する際、私たちは必然的に広島と長崎で投下された原爆の問題に行き着いてしまいます。なぜならこれほど大規模な放射線被曝を被った経験が人類には他にないからです。
いいかえれば、私たちが今、考察の元にしている放射線と人間の関係に関するデータは、広島・長崎の被爆者の調査から得られたものなのです。そしてそのための調査を勧めたのが、この放射線影響研究所の前進のABCC(Atomic Bomb Casualty Commission)というアメリカによって作られた組織でした。
設立は1947年。日本名を「原爆傷害調査委員会」といいました。全米科学アカデミー・学術会議の管轄とされましたが、実はアメリカ軍が大きく関与していました。というよりもアメリカ陸海軍が、学術会議の体裁を装いつつ、設立したのがこの組織でした。
放影研の前身のABCCが目指した内部被曝隠し、その目的な何か。一つには、原爆の兵器としての威力を知ることでした。とくに研究対象とされたのは、原爆が爆発された時に直接に発せられる放射線の威力でした。原爆が爆発すると、中心部から高線量の中性子線とガンマ線が飛び出してくるのですが、それが人体をいかに破壊するのかが重視されました。
つまり兵器としての直接的な殺傷能力の研究です。いかに「敵」を倒せるかの研究の他に、アメリカ軍が原爆攻撃を受けた場合に、どれだけの兵士が生き残り、反撃に転ずることができるのかを試算するためのものでもありました。そのために原爆炸裂と同時に人々が浴びる放射線のダメージが研究対象とされたのです。これは今もなお、放影研の研究の基軸にすえられています。
一方でABCCが大きな目的としたのは、この原爆が破裂した時に飛び出してくる放射線・・・初期放射線と呼ばれましたが・・・に対して、あとから死の灰として降ってくる放射性物質からの被曝の影響を、全くないものとしてしまうことでした。事実、ABCCはそうした報告を長年にわたって出し続けました。
実際には、原爆破裂後に発生したきのこ雲の中に、膨大な数の核分裂性放射性微粒子が生まれ、広範な地域に効果しました。これを浴びたり、吸い込んだり、あるいはこれによって汚染されたものを飲食することにより、広範な人々が内部被曝をしたわけですが、アメリカはそれをそっくり隠そうとしたのでした。
このため被爆者調査の「一元化」が行われ、他の機関がけしてデータの蓄積や原爆による人体への影響の研究をすることがないように、厳重な監視が行われました。その意味で、ABCCは内部被曝の被害を隠すことそのものを、アメリカ軍の核戦略の重要な一環として担ったのです。
なぜアメリカは被曝実態を隠そうとしたのか。それはなぜだったのか。実は1920年代にショウジョウバエにX線をあてる研究の中で、次世代に突然変異が起こることが確かめられていたことを経緯としつつ、原爆投下直後から、ヨーロッパの遺伝学者たちの中から、原爆の兵器としての非人道性の告発が始まったからでした。
同時に、日本の敗戦後に広島に乗り込んだジャーナリストが、その惨状を世界に向かって発信しはじめました。イギリスの『ロンドン・デイリー・エクスプレス』は「広島では・・・人々は『原爆病』としか言いようのない未知の理由によっていまだに不可解かつ悲惨にも亡くなり続けている」と報道しました。(1945/9/5)
またアメリカの『ニューヨーク・タイムズ』は「原子爆弾は、いまだに日に100人の割合で殺している」と書きました。(1945/9/5)
アメリカ軍はこれらに対処する必要から、原爆製造計画=マンハッタン計画の副責任者のファーレル准将を翌日6日に東京に派遣して記者会見を行います。そして「死すべき人は死んでしまい、9月上旬において、原爆で苦しんでいる者は皆無だ」と声明させました。さらに9月19日にはプレスコードによって、原爆に関する報道を全面的に禁止してしまいました。原爆被害の全資料は最高軍事機密とされ、米軍による一元的管理のもとに置かれたのです。こうしたことの継続として、1946年末にABCCの設立が計画され、1947年からその歩みをスタートさせたのでした。
内部被曝隠しと被爆者の切り捨てでは内部被曝はどのようにして隠されたのでしょうか。まず第一に、放射線の害を原爆破裂時に飛び出してきた中性子線とガンマ線、およびそれによって放射化されたものに限定することによってでした。アメリカはこの放射線の到達範囲を爆心地から半径2 km以内とし、それ以外の人々はまったく放射線を浴びていないことにしてしまったのです。
このため原爆投下時に爆心地の近郊にはおらず、あとから救助に向かったり、家族を探すなどして市内に入り、対象の放射性物質を吸引して内部被曝した人々、長らく「入市被爆」と呼ばれてきた人々が、対象外に置かれてしまいました。きのこ雲の下にいて、大量の放射性物質の降下にさらされた人々も同じでした。
こうしたアメリカの目的を維持するために、ABCCは強引な調査を続けました。前回の「報道特集」の中でも触れられていたように、いやがる被爆者をジープを乗り付けて強引に連れて行き、裸にして検査を行い、極めつけとして何の医療行為もしませんでした。医療行為をすると被害の証拠が残るためだからでした。ABCCはこうした被爆者に起こった全てのことを一元管理したのでした。
しかも放射線の殺傷能力に関心を持つABCCは、被爆者の遺体を求め続け、さまざまな手で強引にわがものとして解剖を繰り返しました。被爆者の内蔵標本などを作り、原爆の威力の研究のために使ったのですが、こうした姿勢は、被爆者の批判、恨みを根深く受け続けることになりました。
これらのために被爆者は、二重・三重の苦しみを背負わされました。まずアメリカが報道管制を敷いて、原爆に関するあらゆることを秘密事項としてしまったために、被爆者の惨状は日本国内ですら社会的に伏せられてしまい、何らの救済も及ばない時期が長く続きました。被爆者に対する法的援護が始まったのは、被爆後10年以上も経ってからでした。
さらに内部被曝隠しのもとで、たくさんの実際に被爆した人が「被爆者」として認められなかったり、認められても、自分の病気を放射線のせいだとは認められないといったことがたくさんおこりました。とくに被爆者のうち、放射線を浴びて病にかかったと認定された人は「原爆症認定」を受けることになりましたが、その数は被爆者全体のごくわずかにとどまり続けました。
ABCCは内部被曝を隠し続けるために、こうした被爆者の苦しみを放置し、救済の道を遠ざけ続けたのであり、まったくもって非人道的で酷い役割を果たし続けてきたことが批判される必要があります。ABCCを引き継ぐ放影研は何よりもこのことを被爆者に対して謝罪すべきです。
非常に甘い放射線防護基準の創出を下支えABCCと放影研の果たしてきた役割はそれだけはありませんでした。このように内部被曝を伏せたままのデータを、放射線と人間の関係の基礎的データとして世界に公表することで、ICRP(国際放射線防護委員会)による放射線防護基準の策定をデータ面で支える役割を果たしました。
この場合のデータも、内部被曝を隠したことにとどまらず、さまざまな形で実際の被害を過少に見積もる操作が繰り返されたものでしたが、このことでABCCと放影研は、世界中の人々に、微量は放射線は危険ではないとして、事実上、被曝を強制する役割を担いました。
広島・長崎の被爆者から得た恣意的なデータを利用して、放射線被曝の影響を小さく見積もり、世界中の人々に、さらなる被曝を強いてきたわけですから、ABCCと放影研が行ってきたことの罪は極めて深いといわざるをえません。しかもそれは今日、世界の「放射線学」のベースをも形作っているのです。
福島原発事故による膨大な放射能漏れと、それにもかかわらずものすごい数の人々が、汚染地帯に今なお住んでいる現実を見るとき、私たちはこうしたABCCと放影研、そしてICRP(国際放射線防護委員会)が築き上げてきた内部被曝隠しものとでの虚構の「放射線学」を解体し、真の被曝の科学を打ち立てることこそが問われていることを痛感せざるをえません。
TBS特集番組の突き出したもの・・・求められるのはデータの全面公開!
こうした観点から見るときに、今回の報道特集において、内部被曝の研究をしてこなかった放影研が、膨大な放射能漏れを引き起こした福島事故と、その低線量被曝の影響においては、何ら参考にたる蓄積を持っていないことを引き出したことは、それ自身が画期的な位置を持っていることだと言えます。
なぜなら事故後に行なってきた政府による「放射能は怖くないキャンペーン」やこれを支えてきた「原子力村」に連なる人々の言動のほとんどが、ABCCと放影研が積み重ねてきたデータに基づく、ICRP=国際放射線防護委員会の言質の上にたっているものであり、この番組での放影研・大久保理事長の発言は、これらの論拠を根底から解体するに等しい重みを持っているからです。
その意味で私たちは、ここで述べられた放影研の見解を公式文書として引き出し、今後、内部被曝を含む低線量被曝の考察において、放影研のデータは利用するに値しないこと、また放影研のデータに基づくあらゆる言質は今後通用しないことをはっきりとさせていく必要があります。ここまで私たちが行うことで、この番組が突き出したものは非常に大きなものとなりうると思います。
その上で、私たちはこの番組の中で表明されている放影研の方向転換については真摯な反省を媒介としたものではないが故に、信用に値するものではないことも、確認しておかねばならないと思います。先にも述べたように放影研は長年にわたる被爆者への仕打ちをこそ誠意をもって謝罪すべきであり、それを方向転換の土台とすべきです。
さらに放影研が今すぐになすべきことは、被爆者から強引に収集した全てのデータを公開し、多くの人々の自由な研究の手に委ねることによって、国家機関の手から離れた真の内部被曝研究の道を切り開くこと、そのために貢献することであると言えます。私たちは今後、このことをこそ放影研に求めていくのでなければなりません。報道特集はこうした重大な問題を引き出すことに成功しました。 これを受けた私たちの行動が今、問われています。
Ⅲ.市民と科学者の内部被爆問題研究会とECRR会長らの放影研訪問
続いて6月に行った市民と科学者の内部被曝問題研究会(ACSIR)による放影研(放影研)訪問の記録を紹介します。国際・広報委員長の吉木健さんによって書かれたものです。
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放影研RERFとProf.Dr. Schmitz-Feuerhake、Dr. Pflugbeil及びACSIRとの会談
-第一報 概要*-
*専門的内容については的確にフォローできないため、沢田理事長が別途第二報を提出予定
(文責 吉木 健)
日時:2012年6月26日 10:00~12:00
出席者
RERF-寺本隆信/業務執行理事、小笹晃太郎/疫学部長*
* 寿命調査集団、胎内被爆者集団、被爆二世(F1)集団の長期追跡調査で、放射線被曝の健康への影響の疫学調査を実施。
ACSIR-Prof.Dr. Inge Schmitz-Feuerhake、Dr. Sebastian Pflugbeil、
沢田昭二理事長、高橋博子副理事長、守田敏也広報委員長、
吉木健国際委員長、Dr. Ulrike Wöhr (広島市立大教授/通訳)、
三崎和志(岐阜大地域科学部准教授/通訳)
[発言:寺島-小笹-インゲーセバスチアン-沢田-高橋-守田-吉木-]
発言は内容の要旨で、聞き取りが困難な発言や特に記録の必要がない発言は除外した。特に断らない限り英語。(日)は日本語で発言。
会談に先立ち、ヴィデオの撮影を要望したが断られた。代わりに音声録音の許可を申し出て同意を得た。この会談内容はサウンドレコーダーの記録に基づいている(守田及び吉木)。
*:参考に入れた注。
会談は会話体ですべての発言を記録することが理想的であるが、小型のレコーダーの性能の限界があり、また会場の設置場所の適否、さらには専門的な発言内容の問題もあるので中心的テーマごとの要点を記すこととした。
会談はRERFの寺本氏の司会で始められ、ASCIRの希望により基本は英語とし、必要に応じて日本語等も使用。ドイツ語も通訳を通して使用された。
自己紹介
寺本氏の発案で参加者全員の自己紹介が行われた。通訳を除く発言順。要旨を記す。
寺本理事/科学以外の業務執行理事で広報、倫理調査等担当。7年間在籍。広島生まれ。
小笹博士/疫学部に4年前に就任。
Prof.Dr.インゲ・シュミッツ-フォイエルハーケ(以下インゲ)/物理学者で1974年に ヒロシマの研究所(当時ABCC=Atomic Bomb Casualty Commission=原爆傷害調査委員会)を訪問。長年にわたり研究している。
Dr.セバスチアン・プフルークバイル(以下セバスチアン)/(ドイツ)放射線防護協会の会員(会長)。数年前からRERFの研究もしている。
吉木/今回の会談をさせていただいたことに感謝し、ACSIRの会員に会談内容を伝えたい。
高橋/広島市立大 広島平和研究所の講師。アメリカの歴史を専攻。特に原爆関係の公文書を研究。特にABCCとRERFに関心が深い。
守田/フリー・ジャーナリストでACSIRの常任理事。
沢田/広島生まれ。中学生時に広島原爆で被爆。母は崩壊家屋に挟まれ動けず、生き残るためここを離れよと命じられた経験をした。後に素粒子物理学を専攻し原爆の放射性降下物の影響を明らかにした。
注 なお放影研の小笹博士は、同研究所による「原爆被爆者の死亡率に関する研究第14報 1950–2003 年:がんおよびがん以外の疾患の概要」の筆頭執筆者でもある。
原爆による被曝を巡って
寺本氏が小笹博士に最近の研究の紹介を要請したが、時間への配慮から質問などに答えることとなった。
インゲ博士が口火を切って原爆の被爆について見解を述べ、沢田理事長が(長崎を含む)自らの研究成果(脱毛と下痢等)を述べた。
以下は会談の主要の一部で、詳細は別途報告される沢田理事長の第二報参照。
寺本-会談に移りましょう。小笹博士に最新の研究を紹介してください。
小笹-時間をかけて説明するより質問などをお聞きした方が良いでしょう。
インゲ-放射線防護協会の被験者について職業上の被曝の問題に直面している。あなた方のLSS(寿命調査)http://www.rerf.or.jp/glossary/lss.htmについてコホート*が世界的に参照とされています。(*特定の地域や集団に属する人々を対象に、長期間にわたってその人々の健康状態と生活習慣や環境の状態など様々な要因との関係の調査)残念ながらもし何らかのことが見出されているのでなければ、被験者ははっきりしない疾病のことを話しています。これについては議論するつもりはありませんが、職業上の分野ではnon cancer(非ガン)影響が多く観察されています。ICRPの最近の勧告では0.5Sv以下ではnon cancerは観察されないとしています。私が尋ねたいのは、これはこれまでに確認されたのかどうかです。
私の見るかぎり直線閾値なし線量モデル*と矛盾しているのではないか。ICRP
はかようなことについての懸念はないとしています。
*(linear non-threshold model /LNT-放射線のリスクが線量に比例するというモデルで線量が小さいとリスクは比例して小さくなる。
小笹-LNTについてはガンだけにかかわることです。non cancer(非ガン)については大変複雑でかなり弱い*。さらに詳細な分析が必要です。*LNTか
高橋 1952年・53年に、ABCCがME-81という残留放射線に関する調査に取組んでいたことは、私の著書(『新訂増補版 封印されたヒロシマ・ナガサキ』凱風社、2012年)にも掲載したウッドベリー博士の文書からも明らかである。残留放射線、入市被爆者たちの調査をしようとしていたのに、何故打ち切ったのかも明らかにしてほしい。
RERFのデータの開示について
沢田 被爆者の生存期間はこれからそう長くはない。RERFのデータは人類にとって重要だ。どうか低線量の影響の研究をして出版して戴きたい。
高橋 RERFとABCCで集積されたデータは広島と長崎の被爆者と人類に属するものだ。それらはRERFに占有さるものでなく、広い範囲の科学者と共有することをお願いしたい。
これらのリクエストに対してRERFはRERFが全てをカバーしているわけではないがHPに開示してきたと回答。
HP:http://www.rerf.or.jp/programs/index.html
最新の学術論文:http://www.rerf.or.jp/library/archives/index.html 。
高橋 学術論文などの成果だけではなく、RERFの所有する生のデータの開示が必要だ。最近「黒い雨」に関する事実が明らかにされているが、これも長らく開示してこなかったではないか。
インゲ さらなるデータの開示を求める。「当初から開示しておれば、研究の内容もゆたかになり、被曝による被害を少なくできたかもしれない。」
沢田 私の研究もRERFのデータに依存している。
吉木 データの開示については専門家が不十分だといっている。RERFはデータはRERFの所有と考えているかもしれないが、これは被爆者のものであり、ひいては人類のものではないか。どう考えているのか。
小笹 きちんと残っていないデータもある。カードとしてのデータはある。
沢田 生のデータを開示していただきたい。国の裁判では出せているが。
REDF 同意があれば出せる。だが一般的には出せぬ。個人の個別のデータは出せない。
吉木 個別であっても匿名であれば出せるはず。
ノーコメント
沢田 & インゲ 研究者には個別のデータをよろしくお願いしたい。
低線量被曝、内部被曝について
守田 戴いた放影研のパンフレット「分かりやすい放射線と健康の科学」のp.3にガンマ線、ベータ線やアルファ線の性質の説明があるが、内部被曝についてはパンフ全体にも触れていない。ガンマ線だけ怖いと思われているが、内部被曝ではベータ線やアルファ線が重要なので配慮されたい。
(注)戴いた放影研の要覧には「有意な放射縁量」とはとの質問に対する答えでは次のように記されている(p.47)(吉木)。
『ガンのリスクの考察では5mGy(グレイ)以上の被曝者に焦点を置いている。これ以下の低線量被爆者のガンやその他の疾患の過剰リスクは認められていない。この値は一般人が受ける年間の放射線量(0.1mSv~1mSV)より高い。』
要覧には放射線の早期影響や後影響、遺伝的影響、放射線量、また寿命調査(LSS)などの調査集団の研究などが紹介されているが、低線量の被曝、また内部被曝は研究対象に入っていない。
沢田 放影研は寿命調査集団(LSS)の0〜0.005Svの初期放射線被ばく線量区分のがんなどの晩発性障害の死亡率、あるいは発症率を実質上被ばくしていない比較対照群(コントロール)として放射線によるリスクの研究をしている。初期放射線被ばく0.005Sv以下は広島では爆心地から2,700メートル以遠の遠距離で、ガンマ線しか到達していないので0.005Sv=5m Gyとしてよい。5mGy以上との説明は実質的に比較対照群にしていることの表明であるが、初期放射線のみで放射性降下物の影響を無視した研究であるので低線量被曝者とは言えない。
今後のRERF
今回がRERFとの会談の最初だが、今後継続して戴きたいとの要望(吉木)に対して受け入れるとのことであった(寺本理事)。
また小笹博士からは低線量の曝露の研究については困難を伴うがreformが必要との発言があった。REDFが自ら変わっていくのは困難だろうが、われわれとしては、こうした発言も念頭にいつつ、RERFの今後を見ていく必要がある。
会談は約一時間半に及びその後放影研内寺本理事に案内していただき、全員で放影研の前で記念撮影した。
Ⅳ.放影研訪問懇談の記録
続いて、会談をより具体的に文字起こしした守田による記録をご紹介します。
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会談はドイツのお二人が参加していることもあって英語を基本に行われました。そのためすぐに文字おこしできなかったのですが、会談の後半部分で、ぜひこうした会合をまた開いていただきたいと私たちが要請したさいに、インゲさんが、「次は日本人同士、日本語で話されるといいのではないですか」とおっしゃってくださいました。
すると英語のやりとりでムズムズしていた沢田昭二さんが、それではという感じで日本語にシフトし、今回の会談の後半部分も日本語でのやりとりになりました。沢田さんの姿を横で見ていると、放影研が溜め込んでいるデータへの思い、そこに被曝の実態をより明快に解き明かすにたるものがあるはずだ、それを活用したいというなんとも切々たる気持ちが伝わってくるようでした。
この熱意におされたのか、放影研の小笹氏が、こうしたデータがあることをポロっと話されました。正確には「もう一度入力するというかそういう作業をしないと」という発言で、データに整理される前の調査カードの原本などがあると受け止められるものでした。
このことが聞き出せたことは、今回の会談のハイライトともいえるようなことでした。昨日放映されたNHKの番組では、放影研が「黒い雨」にあたり、内部被曝をしたことで生じた健康被害が後半に出ていたデータを今日まで隠し持っていたことに焦点が当てられたわけですが、放影研はそれ以外にも、たくさんのデータを持っていることが分かったのです。放影研はそれを一般に公開し、広く内外の方たちの自由な研究の道を開くべきです。
この報告の「下の1」ではこのやりとりを紹介しますので、ぜひリアリティをつかんで欲しいと思います。
なおこの間、放影研はこれまでの態度を変えたのか否かという論議があります。僕は少なくとも今回の私たちとの会見において、放影研の変化を感じることはできなかったのですが、そうであろうとなかろうと、科学者としての自らの良心を前面に出し、誠実に、熱意を持って、ひたすら放影研の方たちの科学的良心によびかける沢田昭二さんの姿に深い感銘を受けました。そこには被爆者として、心から核の廃絶を願う沢田さんの姿が垣間見えており、その姿勢こそが大事な証言を引き出すことになったのだと思います。説得の王道だと感じました。
もちろん、アメリカ軍の機関として出発し、今も、アメリカ核戦略の体系の中に位置している放影研を簡単に「信じる」わけにはいきません。あとにも述べますが、放影研とその関係者は、昨年の福島原発事故以降も、明確に「放射能は怖くないキャンペーン」に加担してきています。というか、そもそもこのキャンペーンの基礎になるデータを与え続けてきたのが放影研であり、態度変更には真摯な反省が伴う必要があります。こうしたことを念頭におきつつ、沢田さんのように迫っていくことが肝心ではないかと思えました。
なお本年(2012年)の「広島原爆の日」にNHKが再び興味深いドキュメントを放映しました。「黒い雨、生かされなかった被爆者調査」という番組で、ABCC=原爆傷害調査委員会が、かつて放射性物質を含んだ雨である「黒い雨」による被害調査を行っていながら、それを生かしてこなかったことを告発したものでした。
実はこの番組には、元番組があります。1月20日に放映された「黒い雨・・・明らかになった新事実」という番組です。これは以下からみることができます。
http://cgi4.nhk.or.jp/eco-channel/jp/movie/play.cgi?movie=j_face_20120120_1742
これを見ると、冒頭にこの黒い雨をめぐる放影研の記者会見の様子が出てくるのですが、この会見で、放影研の大久保理事長の左右に座っていて発言しているのが、私たちの訪問の際、応対に出てこられた寺本隆信/業務執行理事、小笹晃太郎/疫学部長の両氏です。(大久保氏から見て左が小笹氏、右が寺本氏)この映像から、この方たちがこの記者会見の内容なども最もよく知りうる放影研の中心メンバーであることがよく分かりました。
番組は以下から見ることができます。冒頭だけでもご覧になり、放影研のお二人の姿も確認されてから、以下の記録をお読みになってください。
http://cgi4.nhk.or.jp/eco-channel/jp/movie/play.cgi?movie=j_face_20120120_1742
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放影研でのやりとりから
20120626 記録 守田敏也
沢田 ここからは日本語でやりましょう。放影研による記者への発表で大久保理事長は、残留放射線の影響については、なかなか数値化するのが難しいと言われていましたよね。でも僕は数値化したのです。ABCCのデータに基づいて、数値化するのに成功したわけです。それは放影研のStramさんや水野さんの研究にも基づいているし、ABCCが調べたデータにも基づいているわけです。
それから下痢については、広島の医師の於保源作さんという方、ご存知ですね。彼が調べたデータ、それを用いたのですが、本当は放影研のデータを使いたかったのです。それを使うにはどういうふうにしたらいいのですか。何か方法がありますでしょうか。
放影研自身が1950年代に調べたデータの中で、脱毛だけはかなり詳しく調べられていて、他のことは詳しく調べられてないのではないかという気がしています。発症率が爆心地からの距離と共にどのように変わっているかなどが1998年にプレストンさんらによって長崎医学会誌に発表されています。脱毛発症率以外については、初期放射線量の区分ではなく、爆心地からの距離による変化というまとめ方はされていないのですか?そのところがすごく気になるのですけれども。
小笹 基本的にはT65D、DS86の初期放射線線量ですね。あれを調べているところで使っていると思います。ただそこで、何が最も線量と関係があるのかというあたりで、落ちているものとか、残っているものとかあるかもしれませんが、ちょっと私もそこまで記憶はないですね。
沢田 一番、僕が欲しいものについてですが、T65DやDS86で行った区分ごとのデータにLSSはなっていますよね。今、DS02が基準で、区分されているわけですけれども、本当はその区分する前の距離ごとのデータ、まあ変換すれば、初期放射線の線量は分かるから、変換すれば距離は分かりますよね。
小笹 それは遮蔽の影響がかなり強いですから、距離とはかなり変わってきます。
沢田 それから遠距離の方は、0.005以下と0の場合が全部まとめられているから、いろいろな距離の人が全部、まとまっているのですよね。
小笹 それはそうです。はい。3キロから10キロまでの場合がありますから。
沢田 ですよね。広島は約6キロまでですか?10キロまでありますか?
小笹 定義としては10キロまでです。
沢田 はい。だけど当時の広島市の地域が10キロまでなくて、6キロぐらいで切れていますから、僕は6キロにしているのですけれども。だからそういうデータが調べられてまとまっていると使えるわけです。インゲさんも、発表されたデータに基づいて日本人平均と較べるということで、コントロールのコホート(* 9ラド以下の遠距離被爆者と入市被爆者)がすごく被曝しているということを見出されているわけですよね。
だからデータがそういう被曝距離という形で発表されていれば、降下物の影響の研究に役立ちます。僕が知っているのは渡辺智之さんらの論文で、ご存知ですか?彼らは名古屋にいらっしゃるから、いろいろと議論ができるのです。
けれども、放影研のLSSのがん死亡率を岡山県民、広島県民と比較され、最近では日本人平均と、年齢ごとで区分した研究をやられていますよね。そういうふうに活用できるわけですけど、急性症状の下痢については、どこにも発表されてないですよね。
小笹 まあ、そういう形で出ているかどうかは分かりません。
沢田 だからそういうのを利用するにはどうしたらいいか。何か方法はありますか?
小笹 公刊されているTR(研究報告)については、請求していただければ出すことはできます。
沢田 公刊されているものはね。でも公刊されていない、だからここで調べられてないものをどう利用するかというと、だからそれは難しいのですね?
小笹 それはですねえ。今、おっしゃったデータについてはきちんと残ってないのです。
沢田 残ってない?
高橋 1950年代の初期の資料とかが残ってないということですか?
沢田 でも調査カードがありますよね。これはちゃんと残ってますよね。それを見れば分かるわけですね・・・。
小笹 もしそれをやるとなるともう一度入力するというかそういう作業をしないと。
沢田 そういう作業を誰かやらないといけないのですね。元のデータはあるわけですよね。
小笹 はい。
沢田 だけれどもデータ化された形で残っていない、と、おっしゃっている。
吉木 だから生データをもらったらいいですね。
小笹 ABCCの調査のデータは残っていますけれども、それが今、おっしゃったような用途に適切かどうかということが分からない。
守田 その生データを出していただくことはできないのですか?
小笹 それはできません。
守田 それはなぜなのですか。
沢田 国が原爆症認定裁判などで必要なときに、ABCCが調べたということでぱっと出てきますね。それは裁判のときは出てくるのですね。
寺本 個人のですか?個人のご本人の同意がある場合は・・・
沢田 裁判だからでるのですね。
寺本 はい。あくまで個人情報ですから、一般的に外に対して提供するような性格のものではないですね。
沢田 だからそれを調べようとすると、ここの研究員にならないとできないのですね。
寺本 ここの研究員であっても、個別のデータを解析の場合にそういう方法をとればやりますけれども、個人と特定できるような形では見てないです。
守田 放射線の影響というのは、個人のデータとは言えない側面があるのではないでしょうか。
寺本 だから研究する場合に、研究者が、だれだれさんのとか、そういう形では見ないように、しかし研究のために、個別の人ごとのデータが必要なときには名前を出すとかしています。
高橋 そういう方法があるわけですから
吉木 よろしくお願いします。
寺本 さきほども説明したとおり、オープンにしています。
吉木 ですから1年間に1回でも良いですから、定期的にこういうチャンスを設けていただきたいというのが私の要望です。たぶんインゲさんもセバスチャンさんもそれに同意すると思います。
寺本 ドイツから来られるのですか?
吉木 来る可能性もあります。
沢田 僕の説明を、ちょっとこの図を使いますが、インゲさんがやったように、遠距離の被爆者を、今ここでは、初期放射線による被曝線量区分を使ってやってらっしゃるわけですね。それでここのデータを使えないものですから、広島大学の原医研のデータで調査されていますね。それは広島県民に限っているわけです。その中の被爆者だけを非被爆者と比較して調べているわけです。そのデータを使って、かつてABCCで調べた遠距離の被爆者がどれだけ降下物の影響を受けているのかということをやって、10ページのところに図があるのですけれども、(ここから英語のため省略)
***
ここで記録をいったん切ります。ここまでで最も重要なポイントは、放影研がまだ電子化していない膨大な生データを持っていることが明らかになったことです。今後、これの開示を求めていくことが問われますが、こうした事実を聞き出させたことは、今回の訪問の大きな成果であると言えます。
その後、会話は、放影研で配布されている『わかりやすい放射線と健康の科学』というパンフレットに載せられている、「放射線は物質を通りぬける」と題した項目についの内容に移りました。同パンフレットの2ページ目にある当該の図と説明をめぐるものですので、アドレスを記しておきます。
http://www.rerf.or.jp/shared/basicg/basicg_j.pdf
ここでは主に守田が質問を行ったのですが、そこで指摘したのは、当該の図のように放射線が「物質の中を通りぬける」ことだけ書くと、原発から飛び出した放射性物質から発せられている放射線のうち、ガンマ線が一番強く見えてしまい、最も危険なアルファ線、それに続くベータ線の恐ろしさがあいまいになってしまう点です。なぜそうなのかとういとこのパンフレットに次のような説明が書かれているからです。
「アルファ線は、ウランやプルトニウムのように大きくて不安定な原子核が分裂した際に生じます。その粒子は、原子核をつくる陽子と中性子がそれぞれ2個くっついたものです。これは、大きな粒子なので紙1枚で止めることができます。ベータ線も粒子線であり、その粒子は1個の電子です。アルファ線ほど簡単には防げませんが、1 cmのプラスチック板があれば十分に止めることができます。」
(同パンフレット2ページ下段の説明より)
アルファ線は簡単に防げる・・・。しかしこれは外部被曝に限った場合のことです。またアルファ線が「紙1枚で止まる」というのは、粒子の大きなアルファ線が紙の分子と激しく衝突し、分子切断を行い、そこでエネルギーを使い果たすためにそれ以上は飛ばないからです。紙の分子が激しく切断されているのです。
これに対して、ベータ線やガンマ線は、その多くが紙の分子の中の原子核と電子の間をすり抜けていきます。つまり紙の分子との相互作用が非常に少ないから、エネルギーをほとんど失わずに通り抜けていくのす。物質への作用の力が、アルファ線より弱いから通り抜けるのだとも言えます。
そもそも原子の世界は私たちの日常感覚で言えば、「スカスカ」です。原子核が米粒ぐらいだったら、電子は野球場の周りを回っているぐらいだなどと表現されます。その「スカスカ」のところを放射線はすり抜けていく。それが「放射線が物質を通りぬける」ことの実相です。物質にあたらないから通りぬけるのであって、例えばリンゴにナイフを突き刺すのとはまったくワケが違うのです。
ところがこの点をきちんと説明しないで、つまり日常の感覚と、原子の世界のあり方との違いが明らかにされないまま、こうした説明がなされると、物理的世界に馴染んでいる人ならともかく、通常の感覚では、「物質を通りぬける」のは、その放射線がそれだけ力があるからだとあやまって捉えられてしまいがちです。
それはこの放射線の性質が「透過力」と言われていることからも生じることがらです。「力」とつけると、どうしても「力」の強いものがより強力に見える。つまりガンマ線が強力に見えてしまうのです。
放影研のこのパンフレットでは、このミスリーディングを誘いやすい「透過力」という言葉は使われていませんが、それでも内部被曝の危険性をきちんと訴えようとするならば、この図の説明だけで終わらすのはではあまりに不十分です。このように外部被曝モデルでの説明に終始せずに、内部被曝の危険性について、もっときちんと解説して欲しいというのが守田が要望したことでした。
これに対して放影研の方たちは、少なくとも守田が受けた印象では、きちんとした応答を返してはくださいませんでした。むしろ、外部被曝と内部被曝の大きな違いを問題とせず、従来の「被曝を線量で測る」という考えを保持したままだという印象を受けました。その点で放影研がこの間、HNKの番組で紹介されたような、内部被曝の研究に踏み切った・・・という感じはまったく伝わってきませんでした。それは放影研のパンフレット全体からも感じることです。
この「放射線を線量で測る」という答えに対して、沢田さんが、外部被曝と内部被曝の違いに触れ、それを線量でひとくくりにしてはならない点を指摘してくださいました。物質との相互作用が強いアルファ線は、そのためにごく短い距離しか飛ばない。正確にはごく短い距離にある物質の分子を激しく切断し、そこでエネルギーを使い果たして止まるのです。
そのためアルファ線による被曝は、ある密集した地点に行われることになる。これに比べるとガンマ線による被曝はまばらに行われるのです。そのため例えば被曝した細胞がアルファ線の方が強いダメージを受けてしまう。生物には驚異の自己修復能力が宿っていて、被曝に対してもそれが働きますが、密集した被曝ではそれができなくなってしまう可能性が高くなります。この点が、体内からごく密集した地点に激しい被曝をもたらす内部被曝と、主にガンマ線により、まばらな被曝がおこる外部被曝との大きな違いなのです。
にもかかわらず、放影研の方たちは、これに何ら実りある応接をしてくださらなかった。内部被曝研究が実際には埒外におかれ続けているからだと思えました。
以上より、会見参加者は、放影研にすべてのデータの開示と、内部被曝研究への真摯な取り組みの真の開始、またそれの前提となる被爆者への真摯な謝罪を求め続ける必要があるとの思いをあらたにしました。以下、これにいたるやりとりの詳細をご紹介しておきます。
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守田 ぜひお願いしたいと思うのですが、このきれいに作られている(放影研)のパンフレットの2ページのところをみますと、放射線の物質に対する透過力の図が書いてあります。今、福島のことで、多くの方が内部被曝のことを心配しているわけですけれども、この図だけみるとアルファ線は紙1枚で止まって、ベータ線は金属版1枚で止まって、あたかもガンマ線が一番強いかのように受け止められてしまいやすい。
しかし実際には内部被曝しえるのはほとんどもうベータ線とアルファ線です。もちろんガンマ線からもしますけれども、逆に言うとアルファ線やベータ線ではほとんど外部被曝することがない。ベータ線はほんの少ししか入ってこない。でも内部被曝の場合は、このアルファ線とベータ線をもっとも気をつけなければならないわけです。
そういう今の現実性から言うと、食料品の中から内部被曝する可能性が最も深刻なのに、その内部被曝のことがここには何も書かれていません。何も書かないでこれだけ(透過力だけ)書くと、あたかも、・・・もちろんそういう意図で書いていると考えているわけではありませんが、・・・ガンマ線が一番怖いように見えてしまう。
しかし今、国民・住民が一番気にしなければいけないのは食べ物での内部被曝です。にもかかわらず、その危険性がこの図を見ていても出てこないのですね。危険性が非常に弱くみえます。やはりそうではなくて、放射線影響研究所が、私たちの実生活に関する影響という面での内部被曝のことを、ぜひもっと、国民・住民に対して説明していただきたい。このパンフレットをみたときにそこで非常に不安を感じるというか、これでは内部被曝の危険性が伝わらないのではないかと強く感じるのです。
寺本 放射線の実態影響は、線量に応じての話だと思いますので・・・。
沢田 内部被曝では、微粒子のサイズもすごく違うのですよね。原子の種類によっても体の中に取り込んだときに影響が違いますよね。だから内部被曝と外部被曝はぜんぜん違ったものなのです。複雑なのですね、内部被曝は。
寺本 その複雑さとか形態の違いは分かりますが・・・。
沢田 だから線量だけでひとくくりにすると、その辺が分からなくなるのです。ローカルにいろいろな影響を与えるわけです。内部被曝の場合は。だから線量ではなくて、線量では1キログラムあたり何ジュールということになるわけですよね。そうではない影響が、つまりDNAの損傷などを考えると、それは線量だけではなしに、どれだけ近距離から集中して被曝するのかが問題になるわけです。
例えばベータ線で、微粒子からの距離によってどう変わるかを計算すると、近距離はものすごい、何十グレイとかになってしまうし、距離が変わればすごく変わりますよね。それらは線量では表せないです。
吉木 数値では表せないけれども、実際に起こっていることについて、われわれは非常に重要視しているわけです。それを数値化できないからあまり公言できないのだというのは逃げだと私は思うのです。われわれが一番心配しているのはそういうことなのです。これはただちには問題ないはずですよね。よく言われることですが。しかし将来どうなるのかということが分かってないところがあるし内部被曝問題研のリサーチャーは一所懸命そこを研究しているのです。
寺本 福島の事故が起こってから、ホームページで情報提供を行うようにしました。汚染の度合いと被曝の形態、内部被曝を含めてですね、いろいろな形態で被曝があるのだと。その場合にどういうことに気をつけなければいけないのかと、それをかなり早くから情報提供をしました。
沢田 もうちょっと内部被曝の複雑さということがあるのです。
守田 線量について、臓器ごとで測っておられますよね。しかしベータ線だったら、臓器全体が被曝するのではなくて、それこそ1センチ球ぐらいのところに、全部、被曝したエネルギーがいってしまうわけですよね。それを臓器全体で考えると、それを薄めたようになってしまうと思うのです。しかし現実の被曝の実態というのは、ベータ線だったらそれが飛んでいくところにしか起こらないわけですから、せいぜい1センチ、あるいは数ミリの球状に被曝が生じるわけですよ。そしてご存知のように、臓器というのは、一箇所だけ集中的にやられても、それが臓器全体に作用していくわけです。
ところがその線量の考え方というのは、臓器全体にどれぐらいあたったのかということが臓器への影響として考えられているから、臓器の部分に対して密集してあたる内部被曝の影響ということが十分に解かれていないのではないかと、そこが気になるわけです。
寺本 まあ、放影研だけで、すべてのことに情報を提供できるわけではありませんので。しかしうちはエビデンスに基づく研究成果を、完全中立性のもとに提供するということに徹してやっておりますので、あとはまあ、関連のあるところの情報をリンクさせていただくというかたちでやっております。
吉木 まだまだ分かってないことがいっぱいあるのだということを、十分にひとつ考慮していただきたいと思います。
沢田 これまでのDS86の6章には残留放射線について書かれていますよね。そこには気象的に流れていたりするから、すべてとは言えないとちゃんと科学者だからそういう可能性については書いています。でも国とかがDS86を利用するときには、そういうことを全部すっとばして、フォールアウト、雨でもたらされたもの、それは残っていて、台風でも流されて、広島の場合は火災の雨でもすごく流されているのです。広島では一番、北西方向に大量の放射性の雨があったことが分かっているのです。池とかでたくさん蛙や魚があがってきたというたくさんの被爆者の証言があります。北西の方向に大量に降ったのです。
しかしそこに残っているものを測定すると放射線は少ないのですよね。それで広島では己斐・高須地域に残っているということになってしまって、己斐・高須地域は強い放射性降雨があったところのはずれなのですよね。だけど火災の雨を受けなかったから残っている。また己斐・高須地域は台風の洪水の影響もあまり受けない地域なのです。川が入ってないものだから。
8月9日に政府の命令で原爆であることを確かめるために仁科芳雄さんたちが土壌を採取して測定した最大の放射線であった場所が、今はもうないのですけれども、西大橋の東詰め(現在の観音本町)なのです。そこは己斐・高須地域の20倍ということが分かっているわけです。仁科資料を静間清教授たちが測定したものがあって20倍なのです。当時は天満川と福島川が合流するその向かい側のところですが今は太田川が改修されてないですし、当時の大洪水のあとは強い放射線量は見つかっていないのです。ようするに枕崎台風で広島中、橋が流される大洪水になってしまったので、それが被爆者にとっては逆にラッキーだったのです。残留放射線の影響は急速に減りましたから。
ということで、そういう結果だけで、降下物の影響だと言っているわけですが、しかし、被曝影響から求めると、それよりもはるかに大量の被曝をしているわけです。これは線量という概念よりも、外部被曝を受けたと同じ急性症状を発症させる影響と言ったほうがいいのかも分からないですね。生物学的な効果から調べるやつは。
でもそれでいくと、6キロの遠距離でも0.8シーベルトということになってくるわけです。ということでそういう効果は無視できないということがあるので、お渡しした資料にいろいろな研究をした経過を説明しておきましたので、そういうことがあるということを知ってください。
放射線影響研究所は、初期放射線の影響を研究するという方針がABCC以来、ずっと続いていますよね。そういう目的でここはスタートしているので、そこから変わるのはなかなか難しいし、Stramさんと水野さんも、そういうデータがあるのに、初期放射線の影響だけを引き出すことをすごく努力してやられています。それはそれなりの目的に沿ったものだと思いますけど、将来は、今の人類が抱えているような、内部被曝とかそういったことを明らかにする上では、そういう残留放射線の影響はすごく大事なのです。
インゲさんは1980年代の論文で、もし放射線影響研究所がそういうことをちゃんとやってくれれば、人類には内部被曝とか低線量被曝の影響がもっといろいろと明らかになるであろうにと、論文で書いています。
(インゲさんの英文を読む)
記録はここまでですが、非常に内容の濃い会見になりました。この成果を、みなさんと今後の放射線防護活動につなげていく決意を述べて、報告を閉じます。